会社を退職
ぼくは数ヵ月前に長年勤めた会社を退職した。
勤めていた会社は、大企業とは言えないけれど上場している名も知られた企業だ。
理由は残業の増加。
毎月実質80時間を超える残業があり、100時間を超える月もあった。
そして、その状況は改善される気配がなかった。
ブラック企業化はこんな感じで始まる⚡
以前からこうだったわけではない。
5年ほど前から会社の業績が悪化。それに合わせて経営陣が迷走し始めた。
まずはカットしやすいコストである人件費から大幅なカットが始まった。
リストラもあり、各部署の人員はどんどん減少。残った僕らの仕事量は反比例して増えていった。
他にもコスト削減の名のもとに労働環境は大幅に悪化していった。
人員を減らすたび、
「人員は減らすだけでなく、業務の効率化も図っていくつもりだから負担は増えないはずだ。」
と毎回いわれる。
ぼくは中間管理職だったので、その”効率化”を業務に落とし込み実践する立場だった。
だが、人数が減っても部署に求められる仕事量は変わらないばかりか、業績悪化を食い止めないといけないのでむしろ成果は今まで以上に求められる。
実際に人員は半分以下にされていた。
正直無謀だと思うことも多かったし、当然だが困難を極めた。
そして上層部が約束していた業務の改善は「現場で考えろ」というスタンスになっていく。
マイナススパイラルの条件
いわゆる、典型的な業績悪化企業のブラック企業化だった。
同じ状況ですべての企業がブラック化するわけではないと思う。
ただ、ぼくのいた会社はいわゆるオーナー社長のワンマン経営で、もともとそうなる気質があったのだろう。
国も企業も独裁であることの問題は、同じところに現れる。
上手くいっているときは問題はあまり表面化しないどころか、外部からは
「オーナー社長企業だからこそ意思決定スピードが速く迅速に対応できる。」
などといわれていた。
だが、混乱が始まると誰もその方針に逆らえないことが裏目に出てくる。
異論を唱えた人はクビになるか、自ら退職していった。
社内の99%がおかしいと感じていても、トップに忖度したまま方針はどんどん偏っていく。
そんな感じだった。
一緒に働く仲間はいい人ばかりだった。
共に働いていて楽しいと思えることも多いし、助け合ったことも多い。
上層部も良い人は多かった。
労働環境が悪化した後でも、働いている人の人間性が悪くなったりはしないらしい。
ただ、労働環境は人数が少なるなればなるほど改善も難しくなる。
悪循環が進んでいった。
環境改善の仕組みは会社の余裕のあるときに作っておかないと、悪化後は改善するのは難しいようだ。
要するに、皆まったく余裕がなくなるのだ。
退職者が増えていく。
社員数の自然減数(退職者数)に、なんと会社は目標数までつけていた。
入社してから共に支え合ってきた同期は、今はもう ほぼいない。
そのような状況なので当然ぼくも退職を考えた。
最大の敵は”感情”🌦️
2年半くらい前にも、本気で退職を考えていたときがあった。
だが、このときはできなかった。
“感情”が邪魔をするのだ。
不安というより”恐怖”に近い感情。
・退職をして次の就職は可能なのか?
・このまま次の仕事が決まらなかったらどうしよう。
・無職になるのが不安。
・無職の自分を家族はどう思うだろうか?などなど。
不安が不安をよび、それはすぐに”恐怖”になる。
不安への答えは、冷静なときは考えられる。
転職活動をしながら働くのは、今の労働時間では困難だし、
退職をしても、ある程度の期間生活をしていけるだけ資産額の余力はある。
なので、退職後に転職先を見つけても問題はない。
再就職は急ぐわけではない。
切り詰めれば生活はなんとかなる可能性が高いし、サイドFIREでも問題ない。
周りの目なんて気にしなければ良い。
わかってはいる。
だけど夜は眠れずなんども目が覚め、仕事中は一人でいる時間はパニックになりそうだった。
自分の人生が詰んでしまうような感覚だ。
このままでは鬱になると思った。
それでぼくは退職を考えるのをやめた。
そして退職へ🗽
結局、そのあと約2年で僕はその仕事を退職。
理由は前述したように、改善される見込みのない残業時間の増加だ。
だが、数ヵ月間 約80時間の残業が続いたことだけでない。
先が見えないことが最も精神にくるのだ。
休みはあったので超絶ブラックとまではいかないが、同僚たちも
「週末は家から一歩も外に出る気力がない。眠れない、ベットから起き上がれない。」
と口々にいっていた。
週末も自宅での仕事が続く。
ぼくは、手が震え動悸がするようになった。
当然のように、夜はよく眠れない日が続く。
家族にも相談したし、医者に行ったら
「このままだと命の危険がある。会社はあなたが死んでも責任はとらないよ。」
と言われた。
そして、ぼくは会社を辞めた。
🤔やめてから考えたこと
理性的になれば、会社はぼくにとって最後には
“ただ 収入を得る ために所属している場所”
でしかなくなっていた。
収入は必要だ。
でも、もし収入が途絶えて、どうにもならなくなっても日本にはセーフティーネットがある。
雇用保険(そこからでる失業保険)。
生活保護もある。
先進国に生まれただけで、僕らは恵まれている。
誰にも迷惑をかけたくないとは思うが、本当に困ったときは助けてもらうことも大切なことだろう。
そして、こんどは誰かが困っていたら、やさしく助けてあげられる自分になりたいと思った。
😀いまを大切に生きる
仕事を辞めると気力も戻り、外へ出かけることも増えた。
いままで「時間がないから」と諦めていたことも、「どれからやろうかな」と考えられる。
それらは、やることも、やらないことだって自由なのだ。
なんだか人生を取り戻したような感じがする。
せっかくなので、いまを大切にしながら、ゆっくりと次の人生を考えようと思っている。
📖ぼくの経験から伝えたいこと
ぼくらの人生は限られている。
たとえば今40歳前半であれば、平均寿命まで生きたとしてもほぼ半分を生きたことになる。
では、ぼくに残された時間はどれくらいなのか?
親と過ごす時間はあとどれくらいあるのだろう。
子供が親と一緒に暮らしてくれる時間はあとどれくらい残っているのだろう。
健康で自由に動ける時間は、あとどれくらいの期間なのだろう。
生きていくため、やらなければならないことが あるのが現実だ。
だた、ぼくも含めて皆、もっと自分の人生を大切にするべきなのだ。
なにかを決断するときに、もっとも邪魔をするのは”感情”だと思う。
それがポジティブな決断でもネガティブな決断でも同じだ。
今回ぼくの決断を鈍らせたのは”恐怖”の感情だった。
影響を受けた本
最近読んだ本に、”ユダヤ人大富豪の教え”という本がある。
ベストセラーなので読んだことのある人も多いと思う。
ぼくは今更ながらこのベストセラー本を読んだ。
主人公が大富豪のユダヤ人から資産を増やすために生き方を学ぶといった内容だが、そのなかでぼくにとって印象的なエピソードがある。
自信たっぷりな主人公が、大富豪の老人と一緒に無人島に行くのだが、そこでなぜか一人置き去りにされる。
主人公は冷静さを失い、夜になると、島で起こる全てのことを悪い方向に考えて身動きがとれなくなる。
実際は置き去りといっても期間は一日だけ。島は老人の所有地で、安全が確保された何も危険のない島だった。
老人の目的は”恐怖”の感情が思考を鈍らせ、判断を誤らせるということを体験させることだった。
(1年半くらい前に読んだ本なので、詳細が少し違っていたらごめんなさい。)
数々の教えが書かれた本で、内容は資産管理や生き方に関するもの。
なので、ストーリーのメインはこれではない。
ただ、直前に自分が体験したことに似ていたので、僕にはこの部分が最も印象に残った。
判断を鈍らせるのは
どんなに多くの知識を身に付けても、重要な判断を鈍らせるのは”恐怖”などの感情なのだと思う。
感情を理解して、自分の判断の外に上手に置く必要がある。
そうすることで、少しずつ思考力や判断力が戻ってくる。
とくに”恐怖感”が自分の判断を鈍らせていると感じたときは、”感情”を思考と分離するように努めることが重要だ。
数分でもよい。
とにかく、自分が感情に支配されつつあることを理解する。
自分が冷静になるのをほんの少し待ってから判断をする必要があることを学んだ。